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それいゆセミナー

それいゆセミナー&交流会
「知って役立つ世界の見方」 野村祐之氏に学ぶ

野村祐之氏

開催日: 12月12日(木)19時から21時30分

講 師: 青山学院大学、フェリス女学院大学講師
野村祐之氏

会 場: uraku AOYAMA

セミナー参加者の声

それいゆ通信に掲載された石川さんによる、野村先生のご紹介文を読んで、お会いしてみたい!と思い、参加しました。既成概念にとらわれて物事を考えているんだと改めて思いました。今日は、初めてお会いする会員の方も多かったのですが、あまりお話しができず残念でした。でも、野村先生のお話には、大満足です。(コンサルティング会社勤務)

本当の意味でのグローバルとは何なのか、気付かされました。また、アメリカ絶対主義の今の世界が果たしてよいものなのかどうか・・・・。世界地図が各国によってあれほど違うのかと驚きました。交流会もとても良い機会だと思います。事務局の方がとても丁寧で感謝しております。(テレビ局勤務)

毎回、とてもフレッシュな気持ちにさせて頂けるお話が聞けて、本当にうれしかったです。色々なことに気付かせて頂きました。交流会では、スタッフの方に、色々と気を使っていただき、とても心のこもった対応をしていただけて、良かったです。また、野村先生のお話を聞く機会を作っていただけたらと思います。(大学勤務)

野村先生のプロフィールに興味を持ち、今、自分が知りたい事が聞けるのではないかと思い参加しました。野村先生のお話全てが、印象に残りました。事務局の皆さんの対応も、いつも参考になります。(病院勤務)
普段、なかなか聞けないお話しが聞けると思い参加しました。「世界の人は、みんな地球の天辺に居る」という野村先生の言葉が印象的でした。passionがあって、ソフトで、聞きやすいお話しでした。事務局のみなさんがとても親切で素晴らしいと思います。(リース会社勤務)
「世界の見方」のセミナーをクリスマス前にやられるというタイミングの良さと企画力に惹かれ、参加しました。野村先生はさすがは大学の先生といいますか、セミナーの空気がいつもと違う感じで私はお話のスピーディーな展開についていくのがやっとでしたが、周囲の皆様は先生の問いかけにササッと回答を言ったりして、優秀な方の集いという感じがしました!世界地図の内、アメリカ版の地図は見たことがありましたが、オーストラリア版のup side−downの地図は、良い意味でショックを受けました。たくさんの、心に残るお話を頂いたので一生の宝物になりそうな気がします。クリスマスプレゼントを頂戴してしまいまして恐縮です・・・・。(WEB編集長)
パソナのWEBから、それいゆを知り、参加しました。野村先生という存在をもっと世に広めるべきでしょう。素晴らしかったです。わかりやすく、感情豊かなお話しは、何度もお聞きしてみたいです。交流会も少人数で、とても良いと思います。(会社経営)
野村先生のプロフィールに興味を持ちました。ホスピスでの経験など、期待していたのですが、またお話を伺えるとうれしいです。まさに「目からウロコ」といった感じで、気持ちが切り替わる思いです。話し全体が、私にとってとても重い、濃い内容でした。一緒に参加した友人と共に感心しきりで、自分たちの頭のかたさ、知識の無さ、もっともっと色々な角度で物事を見つめなくてはならないと、良き刺激をうけました。そして、4ポイント目のすてきな記念品をありがとうございました!「心遣いの」徹底したそれいゆならではのギフトに、これまた感激しました。来年も、皆さんにお目にかかれるのを楽しみにしています。(医師)

【野村祐之氏プロフィール】
1947年 東京生まれ。
1963年 青山学院中等部卒業。その後、青山学院大学神学科、米国・イエール大学神学大学院卒。
1976年〜1978年 世界教会協議会(WCC、スイス・ジュネーブ)に努めた後、ニューヨーク・ 東ハーレムの教会伝道師、米国初のホスピスでの芸術担当ボランティアなどを経験。
1982年

帰国後、専修大学、武蔵野美術大学、早稲田大学政経学部、恵泉女学園その他で、英語、生命倫理、キリスト教学、キリスト教美術史などを教える。現在は青山学院大学、短大、フェリス女学院大学講師。アメリカ人妻、8歳になる娘と三人、東京・杉並に住む。

【野村 祐之さんって、どんな人?】
オゾンホールも、原発も、テレビすらなかった1947年4月の東京、杉並生まれ。(近くの玉川上水には蛍が飛び交い、「まむしに注意」の立て札があった頃です。)
小学生時代はアメリカのディズニープロで働くことを熱望。独学の末、英文の手紙を出しましたが、若さのためか問題にされずに終わりました。 中学生時代は毎週、上野動物園通い。アフリカで獣医になることを夢見ていましたが、獣医学部は理系とわかり断念。数学の心配のない神学に転じ、青山学院大学神学科に入学。学生時代にはインド、ネパールを放浪。南インドで初の臨死体験をしました72年には、ベトナム戦争真っ只中のインドシナ半島、バンコクで戦争反対を訴えるパフォーマンス最中に「瀬死」体験。75年、キリスト教会の世界会議および国勢青年会議であこがれのケニア、タンザニアに滞在後、スイス、ジュネーブのWCC(世界教会協議会=キリスト教会の国際機関)に勤務。ニューヨーク転勤を機に、東ハーレムの牧師の友人宅に住み込んでリビング・ホープ教会の活動のお手伝い。そこで知り合った黒人、プエルトリコ人の友人たちにごちそうになり教えてもらったレシピを集め、牧師婦人と共著で東ハーレム初のクックブック、「SOUL,SOY,ANDSALSA」を出版しました。その純益はハーレムの若者のための奨学金になりました。その後、イェール大学神学大学院に推薦入学。ここで、はじめてみた僕をインディアンと間違えた現在の妻、カリン・ジョンソンと出会いました。 またこのころ、アメリカ初のホスピスで、ボランティアとして芸術プログラムを担当しました。 82年に帰国後は恵泉女学園、武蔵野美術大学、早稲田大学、青山学院、順天堂大学などで教えています。 87年から3年ほど、創刊当時のオレンジページ誌で「野村祐之のおもしろクッキング」を連載。日本ではまだ「男が料理するなんて」といわれた時代でしたが、家では食事は娘が小さいときの離乳食も、愛妻弁当(!)も、休みの日の三度の食事(これが一番大変!)も、すべて僕が担当。今でも毎週一、二度はパンを焼きます。 89年夏、スウェーデンでマザーテレサと親しくお目にかかる機会をえました。カルカッタに招いてくださり翌春にはうかがうつもりでいたのですが、その年の末、彼女は心臓病で、僕は末期肝硬変で倒れ、同じころベルリンの壁崩壊のニュースが届きました。90年4月、テキサス州ダラスのベイラー大学メディカルセンターで肝臓移植手術を受け、その様子は同年5月、NHKスペシャルで「肝臓移植-アメリカで手術を受けた日本人患者の記録」として放映されました。 94年長女誕生。(肝臓移植後の親から生まれた日本で最初の子です。)「野村祐香クリスティジョンソン」と名付けましたが、14文字のこの名前は、多分、日本で一番長い戸籍名です。 8歳になるこの娘とは別にスウェーデンに13歳の娘がいます。カーリン・レベッカ・ヨンソンといい、僕のGOD DAUGHTRRですので、血のつながりはありませんが僕が彼女の教父、GOD FATHER(本当の)です。現在は順天堂大学、フェリス女学院大学でも教えます。キリスト教学、キリスト教美術史、キリスト教教育、生命倫理などが主な講義主題です。

【著書】
Living Together A Collection of Common Catechetical Programmes.
World Council of Churches、スイス・ジュネーブ、1978年
Soul,Soy,and Salsa,Living Hope Church. 米国・ニューヨーク、1979年
Vom Auzunden des Gottlichen Feuers,Herder, ドイツ・フライブルグ、1997年
「ボランティアの心」ライフプランニング・センター、1997年
「輝いて もっと輝いて」テクノ・コミュニケーションズ社、1997年
「死の淵からの帰還」岩波書店、1997年
「スピリチュアル・ペインと向かい合うケア」健康教育サービスセンター、2000年
Desert Wisdom:Saings from the Desert Fathers,Orbis,米国・ニューヨーク、2001年  他
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